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彼女の福音

拾参 ― 作戦開始 ―

 

「というわけで」

 あたしはちゃぶ台の上に立って拳を振り上げた。

「これより陽平陥落作戦発案委員会第一会議を始めたいと思います!」

「おお〜」

 智代がぱちぱちと手を叩いている。

「どうでもいいが、ちゃぶ台の上に立たれると勉強ができなくなるんだが……」

 朋也がジト目であたしを見るが、そんなんで怯むあたしじゃない。

「あら?友人の恋愛を成就させようっていう名誉ある機会に恵まれて光栄と思わないのあんた?」

「いや、そうじゃないけどさ……大体、何で例によって俺の家なんだ」

「いいじゃないの減るモンじゃなし」

 むぅ、と唸る朋也。確かに朋也に理があるのだから、私一人では厳しいかもしれない。しかしここは朋也のホームテリトリーでありながら、すでにあたしは必勝の布石を敷いていたのだ。

「朋也、今日ぐらいは勉強を横に置いてもいいんじゃないか」

「智代……そ、そうだな、智代がそう言うんだったら、まあ今日ぐらいは」

「一緒に杏の力になってあげよう。夫婦の共同作業だぞ、朋也?」

「あ、ああ。夫婦らしいな」

「朋也、私の友人を助けてやってくれないだろうか?」

「そうだな、智代の友人だからな、頼み事を断るわけにはいかないな!」

「ああっ、朋也!」

 そう言って抱きつく智代。これで朋也の脳味噌はトコロテンだ。

「しっかしまあ、これで操ってる自覚ないんだから怖いわよね……」

 そう。他のヒロインにしてみれば「何あれ、旦那さんをあんな風に操っちゃったりしてさ」という感じだろうが、岡崎智代にしてみれば、全部自然な夫婦の会話なのだ。はっきり言ってこのバカップルぶりには脱帽する。

 

 あと、忘れてるようだけど朋也、あたしあんたの友達でもあるんだけど?

 

「さて、杏の春原悩殺作戦だったな」

 朋也からゆっくりと智代が離れる。朋也がすごく残念そうな顔に一瞬でなる。けっ、この惚気大王が。

「そうなのよ……って作戦名変わってない?」

 

 

 

 

 

第一シナリオ:や〜ん、杏ちゃん萌え萌え☆作戦

 

「で、春原だが、あいつは確か萌え要素に弱かった気がするぞ?」

「萌え要素……ね」

「萌え……か」

 智代が悩ましげな顔をする。智代が萌えなんて言葉を知っていたなんて意外だった。

「ところで朋也、前から気になっていたんだが」

「何だ」

「萌えって何だ?」

 前言撤回。わかっていなかった。

「気にしなくていいんだ智代。俺はもうお前の虜だからな」

「朋也……」

 朋也を抱きとめる智代。その時、私は見た。朋也の顔に影が差すのを。

(それに変に萌え要素を集めて他の男が寄ってきたら害虫駆除が大変だしな。もうすでにこいつは美人だから寄ってくる野郎どもをにらみ倒すので大変なのにな)

 どこかでそんな呟きが聞こえた気がした。あたしの高校時代の友人からどす黒いオーラが見えたような気もするけど、恐らく目の錯覚よね?朋也、あんたキャラ変わってない?

「さて、杏の萌え要素と言ったら何だ?」

「そうねえ」

「まずはポニーテールから始めようか……っていつもだしな」

 あたしは上の方でまとめてあるポニーテールの先っぽを指でもてあそんだ。ちなみに智代のポニーは下の方でまとめている。萌え、とは少し違うかもしれないけど、どことなく家庭的な感じがして会っている気がする。

「ツンデレもなぁ……下手したらデレに入る前に春原だから本当に切れちゃうかもしれないし」

「ええ……幼馴染フラグはどうかしら?」

「厳しいんじゃないか?あいつのことを知っているっていっても、高校生は幼馴染とは言わない気がする」

「う〜ん」

「うーん」

「私はついていけない気がする……」

「あ」

 ぽん、と朋也が手を叩いた。

「お前にとっておきの要素があったじゃないか!これだよこれ!」

「え、何なに!?」

「ほら、巷で今大流行の!」

「大流行の!?」

「貧にゅfbごはdげrjgっばいうrgfh」

 グリム童話全集が、馬鹿の顔面に直撃した。

 

 

 

 

 

第二シナリオ:ふつつか者ですがよろしくお願いします作戦

 

 

「なあ杏、私の乏しい経験を元に言わせてもらっていいか?」

「はいどうぞ」

 智代は部屋の端でぴくぴく動いている朋也だったモノを見て、頬を赤らめた。

「その、何だ、男性というのは、どうも尽くしてくれる女性というか、そういうのが好きらしいんだ……」

「ふんふん」

「で、私の場合はまだ付き合っていた頃は朋也の朝食を作ったり弁当を作ったり、部屋を掃除したり、とまあそういうことをやって、一緒の時間を作っていったんだが、その線はどうだろうか?」

 ぴしっと指を立てる。おお、決まってる。

「いいわね、それ」

「だろう?杏は料理は得意だし、幼稚園児の面倒を見ているんだから片付けとかそういうのもできなくはない。うん、ぴったりじゃないか。ただし」

「ただし?」

「これをすると近所から『通い妻』認定されるという危険も伴う、諸刃の剣。素人にはお勧めできない」

「……あら?あたし、別に陽平の通い妻になってもいいのよ?っていうか、そうすると既成事実でそのまま入籍……って、早すぎよねぇ」

「うん、そうだな。それはともかく」

「つまり陽平の家に行って愛のこもった食事料理して、しょうがないなぁとか言いながら部屋を掃除して、『これじゃあカップルよね、キャ』と照れて見せればいいわけでしょ?」

「呑み込みが早くて助かる。最初の作戦はこれでどうだろうか?」

「ありがとう智代!やってみるわ!」

 あたしは智代の手を取ると、思いっきり笑った。

 

 

 次の週。

「もうダメぽ」

「どうしたんだ杏?何か粗相でもしたのか?」

 智代が心配そうに覗き込んできた。

「それ以前の問題よ。あーあ、まさかね」

「まさか?」

「まさかライバル出現とは、思ってもみなかったわ」

「ラ、ライバル?!」

 朋智コンビが大げさに驚いて顔を合わせた。

「そうよー。あたしより可愛くって、若くてピチピチな女の子よー」

「若くて、ピチピチ……」

 首をひねる二人。どうも陽平を好きな女の子がいることがそれほど不思議らしい。

「ねぇ二人とも」

 あたしはぐっと拳を握り締めた。涙腺が緩んでうるうるとなってしまう。ああ、情けない。

「何で誰も芽衣ちゃんの存在を覚えていないのよっ!」

「……あー」

 

 そう、そうだったのだ。

 先週、あたしは智代のアドバイスを授かったその足で陽平の町に直行し、買い物をした後で陽平が今は一人暮らしをしているアパートに向かった。しかしベルを押して出て来たのは

「お兄ちゃん?」

「はい?」

 妹の芽衣ちゃんだったのだ。

「あ、杏さんこんにちは」

「あ、こんにちは芽衣ちゃん」

「ごめんなさい、お兄ちゃん今ちょっと出かけてて」

「あ、いいのよ。どうせ近くまで寄ったから寄っていこうかなって思って。それよりも、芽衣ちゃんも陽平に会いに?」

 あたしは動揺を悟られないように努力しながら聞いてみた。すると、ちょっと恥ずかしそうに芽衣ちゃんは笑った。

「まあそんな感じです」

「まあ?」

「えっとですね……その、お兄ちゃん、まだちょっと独り暮らしができてないから、週末あたしがちょっと掃除とかしてるんです。あとお料理も」

 負けた。もうその場所は取られていた。しかも芽衣ちゃんにはあたしのポニテとツンデレを相殺して余りあるツインテールと妹属性がある。

 忘れてた。朋也になくて陽平にあるもの。それはしっかり者の妹だった。

「あれ、どうしたんですか?杏さん?」

 その後、どう帰って来たか覚えていない。

 

 

 

 

 

 第三シナリオ:お義姉さんとお呼び!作戦

 

「そうだったのか……」

 智代がうーんと腕を組んだ。しかし、朋也はあっけらかんとしていた。

「杏、あのな、それあんまり重大じゃないと思うぞ?」

「え?どうして?」

「芽衣ちゃんは前からずっと春原のことが気になっていたんだ。もっと早くまともになってくれないかって」

 そう言えば、学生時代にもこういうことがあった気がする。確か偽物でいいから彼女を探すとかいう話だった。彼女探し……

「あたしは何であんな無駄な時間を……」

「いや、それむしろ故障でバスケ止めた俺のセリフだし」

「で、それは何を意味するんだ?」

 智代が話を戻してきた。

「つまりだ、もし芽衣ちゃんに事情を言えば、道を譲ってくれるかもしれないぞ?」

 事情。

 あなたのお兄さんが好きです。付き合いたいのでもう来るな。

「言えるわけないじゃないの、そんなの!」

「ぶごへっ!」

 照れ隠しに手を振り上げたら、無意識のうちに二十一世紀こども図鑑を朋也に投げてしまっていたようだ。そのまま動かなくなる作戦の発案者。

「でも杏、いつかは言わなきゃいけないことなんだぞ?ここは自分を前に推すためだと思って、やってみたらどうだ?」

「智代……」

「何なら、私も付き合ってやろう。電話で芽衣ちゃんの携帯にかけるだけでいいんだ。大丈夫。杏なら絶対にできる」

 そう言って智代は芽衣ちゃんの携帯番号を朋也の携帯から見つけて教えてくれた。

「智代、恩に着るわ」

「いや、いいんだ。しかし、何で朋也の携帯に他の女の番号が載っているんだろう……?」

 急に部屋が暗くなる。あは、あはは、智代さん?あなたもキャラ、変わってない?

「後でゆっくり問いただそう。うん、そうしよう……」

「そ、それはともかく、かけてみるわね?」

 

 

 

 

「あんなにすんなりいくとは思ってなかったわ……」

「そうだな。まあ、芽衣ちゃんも結局は心配だったわけか……で、何と言われたんだ?」

「そりゃ最初は冗談かと言われたわよ。でもあんたも聞いた通り、何度も繰り返してたら『あなたのような人を待っていました!お兄ちゃんをよろしく!あぁ、これで私の努力も報われます』。最後は涙声になってたわよ?」

「芽衣ちゃんも苦労してたんだな……まあ、あの春原が兄なら仕方がないか」

 ため息を一つつくと、智代はあたしの肩に手を乗せた。

「でもこれで障害が一つなくなり、味方がもう一人増えたぞ、杏。さあ、通い妻作戦再実行だ!」

「ええ!」

 

 

 

 

 

 第四シナリオ:お帰りなさい、あたしにする?それともあ・た・し?作戦

 

 

 その日、私達に報告しにきた杏の顔は、何というか、形容しがたかった。

 まるで「思っていた料理はできなかったけど、その代わり面白いものができてしまってそれなりにおいしいからまあいいや」とでも言いたげな顔だった。

「どうだった?」

「うーん、微妙ね」

「微妙?」

「そうなのよ、まず芽衣ちゃんから事前に合い鍵を貰ったから、早速朝早くに陽平のアパートで朝ごはんを作ったのよ。で、上手くできたなあ、と思って陽平を優しーく起こしてあげようと思ったら」

「思ったら?」

「結局辞書ぶつけちゃった」

「……」

 待て、なぜ殺たし。するとおずおずと手を挙げる朋也。

「奥様、発言してもよろしいでしょうか」

「却下。浮気者は黙っていろ」

 どよよーんと肩を落とす朋也。部屋の隅で「の」の字を書き始めているが知ったことか。い、いやまあ少し気にしてやるが。

「何、どうしたの?」

「いや何、ただ私に永遠の愛を誓ったはずの良人が、よりにもよって自分の携帯に他の女の電話番号を登録させていただけだ」

「……」

「ちなみに一週間前から、こうだ」

 何故か顔を引きつらせる杏。ふん、いい薬だ。別に私も朋也の声が聞けないから寂しいとは思っていないぞ?一応、その点だけははっきりさせておこう。

「それよりも、その後どうなった?」

「え、ええ。で、朝ごはんはまあ普通ね。『おいしい』とは言ってくれてたけど、もしかすると朝から豚カツって重すぎたかもしれない」

「……それで?」

「掃除を始めたんだけどね……そこでちょいとね……?」

「ちょいと?」

「……陽平秘蔵のエロ本集見つけちゃった」

「……」

 頭が痛い。そう言えば一度朋也と一緒に起こしに行った時も、そんなことがあったが、それでわかる通り、春原の「秘蔵」はあてにならない。

「むしゃくしゃしたからたっぷり顔に見せつけてやったというか、顔にめり込ませたというか、そうしちゃった。今は後悔している」

「……お前も大変だな、これから」

 春原なんかを好きになったばっかりに。私?まあ、朋也も手のかかるところはいろいろとあったな、うん。いや、それを思い出したらまだ部屋の端で肩を落としている朋也が可愛く思えてきたとは思っていないぞ?

「まあ掃除は終わったわけよ。で、最後にお昼を一緒に食べて、それで夕飯を作り置きにしたらいいかなって思ったんだけど」

「だけど?」

「お昼を並べている時に『風子参上!』って言って風子がやってきてさ、『春原さん、私の料理も食べてください』って言いながらヒトデケーキやらヒトデシュークリームやらヒトデバームクーヘンやらを並べて『ベストチョイスです』とか言ったんで、陽平ったらそれだけで食欲減退。お昼もあまり進まなかったの」

 

 

……

 


 

 

「朋也」

「何でしょう奥様」

「頭痛薬を取ってきてくれないか?あと、お水も」

「おう」

 朋也から渡された頭痛薬をコップ一杯の水とともに飲み、私はこめかみをさすった。そして窓の外に広がる蒼い空を眺めた。

「……作戦は……失敗だったな」

 責任者は責任を取るためにいる、か。しかしこの作戦失敗の責任をどう取れと?

「あ、でもね」

 半ば私を励まし宥めるように杏が続けた。

「全部が全部、失敗だったわけじゃないわよ?だってさ」

「だって……?」

「駅に行く時に、陽平が送ってってくれたのよ。しかもね、ホームでお別れするときに言ってくれたの」

 

 ありがとな、杏。何だかドタバタしてたけど、楽しかったよ

 

 それを聞いたとたんに、私の肩の荷が下りた気がした。

「だからね、じゃあまた来ようか、て聞いたら、え、マジで?って目を輝かせちゃってさ……もう、ホントほっとけないわ」

「では結果オーライということかな?」

「そうね。うん。ありがとね、智代も朋也も」

「いや、力になれてよかった」

 本当に良かったな、と心の中で呟いた。やっぱりがんばれば何とかなるもんだな。

 

 

 

 

 

「奥様」

 おずおずと朋也が挙手した。杏が機嫌よく帰った後のことだ。

「何だ」

「お話したいことがあります」

「許す」

「なあ智代、いい加減許してくれってば」

「……」

「というより、まず俺の携帯に他の女性の番号があったって変じゃないと思うんだが?むしろ、男の方が多いぞ?」

「そうじゃない」

 

 そう。それだけなら私はここまで怒りはしない。問題はここにある。

 

「朋也、何で私の番号がその携帯に登録されていないんだ?」

「へ?」

「『お』のところにも『と』のところにもなかったんだぞ?なのに知らない女の番号が載っていて……ともぴょんは今とても悲しい」

「……あー」

 それか、と朋也が手を打った。

「それはあれだ、その必要がないから」

「必要がない?」

「うん。お前の番号なら真っ先に覚えるし、一番よく押すからな。もう携帯見なくても指が」

 そう言って携帯を取り出し、目をやらずにボタンを操作した。

「覚えてるのさ」

 すると、急に私の携帯が鳴り始めた。

「そうなのか」

「ああ」

「朋也、一つ聞かせろ。私はお前の何だ。答えてくれれば許す」

「え?お前?そりゃああれだ」

 そう言って、私の肩を掴んだ。

「俺のたった一人の最愛かつ最高の妻じゃないか」

……まあ、うん、あれだ、今回はこれで許してやろう。というか、まあ、ぶっちゃけ言うとな。

 もう我慢できん。

「朋也っ!!」

 私は朋也に抱きついた。久しぶりの感触だった。

 

 

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